そうだ、瑠駆真はこの数日、呼吸をするのも惜しいくらいの気持ちで美鶴を探している。
「美鶴が、マンションから姿を消したんです」
「マンションから?」
「今住んでいるマンションです。僕が用意しました」
「あぁ、そうでしたね」
「学校へは来ています。だから遠くへ家出をしたとは考えられない。誰かに監禁されているワケでもないらしい」
「美鶴様は何と?」
「聞いても答えてはくれない」
膝の上で拳を握る。
「それに、今日は遂に学校まで休んでしまった。夜をどこで過ごしているのか、見当もつかない」
「それでこちらに?」
瑠駆真は、埋めていた身を起こす。
「霞流に聞けば、何かがわかるかもと思ったんです。だって美鶴は霞流の事が」
その先を口にする事が、瑠駆真にはできなかった。もはや霞流に敬語を付ける余裕すらも無い。
木崎は、そんな瑠駆真を静かに見つめた。
「それでこちらに?」
「霞流慎二は、今どこに居るんですか?」
「連絡を取ろうと思えばできない事ではありません」
「お願いします」
乗り出す。
「彼が知っているかもしれない」
「できる限りの協力はしたいとは思っています。ですが、その前に一点、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
興奮気味の瑠駆真を鎮めるかのように、努めてゆっくりと唇を動かす。
「どうして美鶴様は、家出などといった真似をなさっているのでしょうか?」
瑠駆真は、思わず口を閉じた。咄嗟にどう答えてよいのかわからなかった。
その姿を美鶴が見たら目を疑うだろう。瑠駆真はいつだって冷静で、頭の回転も速く、滅多にうろたえたりはしない。美鶴の嘘など瞬時で見抜き、言い逃れなど許さない。
そう、逃れる事など許さない。
「どうして美鶴様はマンションから姿を消してしまったのです?」
木崎の問いに、答えあぐねる。
僕が押しかけたから逃げられた、なんて正直に話したら、やっぱり軽蔑されてしまうのだろうか? そんな理由で探しているのなら協力はできないと、拒絶されてしまうだろうか?
躊躇ったために生まれた沈黙は、木崎によって壊される。
「言えない事情でもあるのですか?」
「言えないワケではありませんが」
なおも躊躇う相手に、木崎は視線を落とした。
「やはり、慎二様が原因なのですか?」
「え?」
予想外の言葉に絶句する。
「慎二様が、何かをやらかしたのですね?」
「えっと、それは」
「それで美鶴様は家を出られた。いいえ、慎二様を追いかける為に行動を起こした、といったところなのでしょうか?」
違うと思うな。
否定しようとして、だが思い直す。
事の発端は、霞流が美鶴の恋心の事実を唐渓に流した事ではないだろうか?
目の前の男性は、何をどこまで知っているのだろう?
黙ったまま見つめる瑠駆真の瞳を、木崎もまっすぐに見返す。
「もし慎二様が原因で美鶴様が行動を起こされたというのならば、下手に慎二様に頼っても美鶴様の所在を知る事はできないかもしれません。逆におもしろがってこちらが弄ばれるだけなのかも」
「弄ばれる?」
「知りもしないのに美鶴様の所在を知っているかのようなフリをしてこちらをからかってみたり、また知っているのに知らないフリをしてこちらが右往左往している姿を見て愉しんだり」
考えただけで怒りが湧く。
「いかがでしょう? やはり慎二様が原因なのでしょう?」
直接的には違うのだが、木崎の言葉を聞いていると、考え無しに霞流を問い詰めるという手法は、あまり賢い選択ではないような気もしてくる。
自分が押しかけ、美鶴に逃げられたなどといった顛末が彼に知れれば、嘲笑われてからかわれるだけのような気がする。
そんな男を、美鶴は好きになったのか? なぜ?
苛立ちのような、もどかしさのような、どう扱ってよいのか見当もつかない感情に苛まれる。
「やっぱり、もう少し、こちらで探してみます」
考えた後、絞り出すようにそう答える。
「そうですか」
瑠駆真の言葉をどう理解したのかはわからない。木崎は抑揚のない声で応じる。
「何かご協力できる事があればできる限りのことはいたしましょう。こちらとしても、霞流家の人間が迷惑を掛けているわけですから、他人事ではありません」
「あ、いえ、そんな事は。とにかくもう少し探してみます。霞流、さんには何も告げないでください」
「わかりました」
瑠駆真は大きく息を吐いてクラフティを食べた。サクランボの甘さがほどよく、緊張していた身体を解してくれる。そのまま一気に平らげてしまう。飾りで乗せられていた二つ一組のサクランボ。あまりに綺麗で脇に避けておいた。食べようかと果梗を摘んだが、結局はもったいなくってそのまま置いた。
僕と美鶴も、こうやって仲良く並んで毎日を過ごせたらいいのに。
「甘いものがお好きなのですか?」
言われてなぜだか恥ずかしくなる。
「いいえ、別に。このクラフティ、そんなに甘くはないですよ」
「栄一郎様の好みに合わせて作っていますからね。栄一郎様は、甘いものは嫌いではないのですが、甘過ぎるものは苦手だとかで、いやはや困ります。男性が甘いものを食すなど、あまり喜ばしくはない傾向だなどと古臭いコトも言っておりまして。昨今では甘い物を好む男性は珍しくもない。スウィートなるモノを食べ歩いて本などを出版している男性もいる時代ですのに」
スイーツの事だな。
「詳しいですね」
「使用人の女性で菓子作りの好きな者がおりましてね。これもその者の作品です。お陰で食後のデザートには困りません」
「へぇ、デザート専門の人がいるんですか」
「別にその為に雇っているワケではありません。もともとは関東の方でパティシエなる職業を目指していたようなのですが、なにやら人間関係で悩みを抱えてしまったようで、その地を離れる事にしたのだそうです。知り合いを頼りに名古屋で心機一転を図ってみたようなのですが、やはり見知らぬ土地ではいろいろとままならぬ事もあるようでしてね。気落ちしているところを慎二様が連れて来たのですよ」
「霞流、さんが?」
「はい。彼女もここに来てだいぶ元気を取り戻しました」
言いながら瞳を細める。瑠駆真はそれを、複雑な気持ちで眺めた。
あの霞流が、人助けのような事をしているのか? 信じられないな。
本当に信じられないという思いで口を開いた。
「ここの使用人は、みんなそういう事情でここにいるのですか?」
「事情はいろいろです。こういう屋敷で働いてみたいなどと自ら志願してやってきた者もいます。もっとも、昨今巷で流行っているような、メイドなどといったものとは全く違うと思うのですが」
木塚駅周辺でも、メイドカフェなるものが開店しているようだ。店の前を通った事があるが、列に並ぶ男性客に愛想笑いを振り撒く女性になど、好感は持てない。
そう言えば、聡の義妹も、あのような世界が好きだったんじゃなかったかな?
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